音楽を呼びさますもの

恋文を書くために埋め尽くされた練習ノート

淳平

宗馬相太はヨット部のキャプテンであった。
終戦記念日の翌日、ニュースは200海里付近で一隻の日本の密漁船が拿捕されたと報じた。日本政府はただち船長をはじめ乗組員のに釈放を要求したが、某国から何の音沙汰はないまま数日が過ぎていた。一等航海士である相太は首に天台宗の数珠を巻き、喉仏のしたには胸毛の一部が伸びてきていた。「政府は何もできん、それを承知で拿捕し日本の出方を勘ぐる手段だ」相太は密航のチーム名を青龍隊と決めた。淳平は20名いる部員から有志ある5名に選出された。淳平は些かの葛藤や迷いはあったがキャプテンの片腕となって航海にでる覚悟を決めた。遮るものひとつない盛夏の海は過酷で淳平らは甲板の上で背中を焼かれた。胃は全ての食べものを受け入れず干からびた蛇のように水が枯渇し皆脱水症がひどかった。
空からの映像は排他的経済水域辺りを滑るように進むヨットの白い帆をとらえていた。